日経新聞のコラムに、ハノイに住むベトナム人女性にインタビューした内容が載っていた。
女性は30代を過ぎてから、日本に実習に行ったことがある。
彼女の話を聞いて記者は、沢田研二の「TOKIO」を思い出したようだ。
記者は、「皆が希望を持てたあの頃の日本」という表現で心情を表した。
一方、ベトナム人女性はこう言った。
「日本に何度でも実習に行きたい。いくらでも残業できる」
彼女は、今の日本に対して希望を見いだしている。
記事の中で、「ベトナムでは女性が強く、気持ちがいいほど野心を持っている」とある。
今の日本に希望があるかどうかではなく、希望を見いだすエネルギーが、自分の心の中にあるかどうかが問題なんだと感じた。
物事は、見る角度によって見え方が変わるが、その見る角度とは、心の在りようによるものだと思う。
心が病んでいては、希望を見ることは難しいだろう。
希望とは、物事そのものに希望があるのではなく、人の心に宿すものだと気付いた。
shingo 2021年10月16日 — 投稿者
ベトナム人のいい評判をよく耳にします。
日本人のようによく働きますよね。
英都萬 2021年10月15日
外国へ行って働こうと思う人は多かれく少なかれ野心家であることは間違いないです。その上、私の知っているベトナム人は心が透き通っていてとてもつき合いやすい人ばかりです。おそらく、能力に余裕がるからこそ心にも余裕があるのだと思います。