自分が何かを見て、あるいは何かを聞いて、またあるいは何かをして、それによって自分が情けなくなったり、怒りや不安を抱いたり、困惑したり不快に感じるようなことがあれば、自分のどのような思考がその感情を生みだしているのかをみる必要があります。
特定の思考が感情を生み出し、その感情によってその思考が固定化されたり、新たな思考を生み出します。
そして、固定化された思考は強固になり、次はさらに強い感情を生み出します。
また、新たな思考は、次の感情を生む元になります。
固定された思考は、それ以外の思考に対して盲目的です。
盲目的になれば、固定された思考以外を無意識に拒絶します。
思考と感情は、お互いが次を生み出す循環になっています。
それらが生み出される瞬間を、誠実に見つめることで、真に客観的に自分を見ることができます。
自分に誠実に生きるとはそう言うことです。
その瞬間を正視せずに避けることは、自分を誤魔化していることであり、それをずっと続けて生きていくことは、同じ思考をグルグル循環しているに過ぎず、そこから抜け出せなくなっていきます。
自分の思考と感情に、誠実に向き合うことです。
もし、自分の中に解決していない何かがあるのなら、その方向へ向かうことです。
そのことに向き合い直面します。
避けたり、反対方向へ向かうのではなく、単に誠意を持って対処します。
自分の内面に誠意を持って向き合っていくことです。
注意することは、
自分の欲求を見てそれを満たすことが、自分に誠実であるのでは無いと言うことです。
shingo 2021年10月16日 — 投稿者
人は少なからず頑固であり、自分自身を客観的に見ているときでさえ、自分の判断基準で自己評価しているに過ぎません。
つまり、客観的に見ているわけではないのです。
自分に誠実に生きているかどうかで間違いやすいのは、欲望に従って生きている場合です。
欲望はこれまでの人生で培われた価値観からなっており、いわゆるエゴと呼ばれているものに過ぎません。
エゴは本当の自分とは別物です。
見分け方は、その瞬間、活き活きとしているかどうかです。
エゴから来ている場合は、活き活きとした状態は一時的なものに過ぎません。
また、頑固というのは、ある考えに固執している状態です。
自分に誠実に生きるには、それを手放す必要がありますね。
英都萬 2021年10月15日
以前も書きましたが、自分の前に鏡を立てて客観的に見るのが大人だと思うのですが、歳とともに頑固になり柔軟な思考ができなくなってきています。ただし、頑固さも自分に誠実に生きている証であると考えます。