アーリタblog                 新たなる挑戦の始まり

The beginning of new challenge

ルール

この社会を生きてゆくには様々なルールがあります。
そう、世界中のどこにでもルールがあります。

例えば、宗教上のルール。
「金曜日に肉を食べるな」
「豚肉を食べるな」
「離婚してはいけない」
「女性はベールで顔を隠しなさい」
「一度はメッカに巡礼しなさい」
「日に5回、何をしていようとカーペットを敷き、ひれ伏しなさい」
「結婚式は寺院で挙げなさい」
「日曜日は教会に行き、告解し、ミサに出席しなさい」

なにしろ、ルールはやたら多くあり、守らないと「バチが当たる」とか「罰がくだされる」などと恐怖心を植え付けられます。
困ったことは、ルールを執行する当人たちは、そのどれもが「正しい」と言うのです。
ですが、どれもが正しいというのは考えにくい。
ルールは、場所と時間によって違います。
日本のルールとアメリカのルールの違いしかり、100年前のものと現在のルールの違いもあります。
これらを踏まえると、ルールに「正しい」かどうかの判断基準を付加すると、おかしな事になるのがわかります。
「私は正しい」と思う時、それは「今のルールに照らし合わせると正しい」と言うのが、正確な判断になります。

どの道そうは言っても、私達はどのルールを守るのかを選ばなくてはなりません。
それは現実的には、どこの国に住むかを意味します。
しかし、自分が選んだルール以外のルールを選んでる人からは「ルール違反」だと、注意されます。
そして、ルールが多くなるほど、違反者は増えます。
ルールと違反者の数は比例します。
だが、違反者が増えるのは困るという人達は、それを取り締まり、罰します。
執行者は仕事だからと言い、取り締まります。
そうやって人の心は傷つけられるのです。

「傷つけられた人達の心に、何が植え付けられるのか?」

同じ様に、ルール違反者に注意をしたり、罰しようとします。
これが伝達し広がると、集団意識で強いパワーへ変貌します。

戦争の歴史が物語っています。

しかも有史以来、それが繰り返されてきているようです。
人間は知的生命体の中では、まだまだ原始レベルから脱していないのかも知れません。
ひとつの家の中で暮らす家族それぞれに、違ったルールがあればうまく行きません。
各自マイルールに従って行動するから当然です。
地球というひとつの家に住む人類にも、同じ事が言えるのではないでしょうか?

これからは、ルールを増やす代わりに、「愛情」や「尊重」「寛大さ」などを増やす努力をし、そういうものを土台にしたルールを設け、統一したほうが、世界に平穏が訪れるように思います。

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2 コメント

  1. shingo 2021年3月18日 — 投稿者

    同感です。
    良心は誰もが持ち合わせていると思います。
    全員が良心のみで活動していけば、法律は要らないのかも知れませんね。
    日々意識して、良心を使うよう心がけたいと思います。

  2. 英都萬 2021年3月13日

    一般的には、憲法>法律>国の条令>地方の条令・・・>ルール
    でしょうか。日本では殆どの法律が罰則規定のないザル法で、良心に委ねられるところが大きく、裁判でも法律と良心に基づいて判断するそうです。愛情・尊重・寛大さもそうですが、
    良心・道徳>憲法 くらいの規定があると嬉しいです。

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