「己の欲せざるところ、人に施す無かれ」
小学生の時に教わった孔子の言葉です。
これを日常生活で実践してきましたが、いつの頃からか、この言葉だけでは何かが欠けていると思い始めました。
この言葉は、「されて嫌なことは、するな!」という事ですが、その元になる真理は、「人にしていることは、自分自身にしている」という考えがあります。
ならば、そこから一歩進めて考えると、
「自分がして欲しいと思うことを、人にしてあげなさい」
と思えるようになります。
行き過ぎれば、お節介になるかも知れないと、ためらうのではなく、相手の意志をくみ取りながら行えば良いと思います。
もう少し踏み込んで考えると、
「人にしてやらないことは、自分にしていない」
と言えます。
こういった考えに元ずく行為の結果は、「自分と相手」という直接的な2人の関係だけで目に見えて現れるのではなく、間接的に、そして時間をおいて、自分の後の人生に影響を及ぼしていくのだと実感しています。
以前、事業をしている中で、こんな事がありました。
“何年も取引の無かったA社長が、仕事で無理難題を言ってきました。
価格的に、納期・数量的に、品質・技術的にも、常にムチャな要求が続きました。
それも、暴言を吐くような言い方で、です。
すぐに、社内の全員から、私は猛反発を受け、やむなく自分でそれらの要望に応えていました。
何年も経ったある時、別の得意先の社長から意外なことを耳にしたのです。
「おたくを知ったのは、A社長の紹介なのですよ」
「何かの間違いでは?」と思いましたが、その後も別の方から「A社長は、おたくをすごく誉めていたよ」と聞き、やっとわかったのです。
何社かの新規得意先は、すべてその社長が推薦してくれていたのです。
後日お礼に行った時、A社長はこう言いました。
「無理言ってるのは分かってる。
自分はこういう激しい性格なので、誰も真摯に応えてくれなかった。
でも、あなたのところは違った。
それがとても嬉しかった」と。
この例では、幸い、何年も経ってからですが、A社長の本心を知ることになりました。
しかし、殆どはそうでは無い気がします。
自分の普段の発言や行動、何気ない態度が、自分が知りようもない形で巡り巡って、自分に跳ね返ってきているのだろうと思います。
「何をするか」、だけではなく、「何をしないかも」含めて。