「冷たい」と「熱い」、「寒い」と「暑い」、「喜び」と「悲しみ」。
私はこれまで、これらそれぞれの言葉(状況)は、反対の事を表すものだと思っていました。
学校でそう教えられたような気がします。
しかし、常々この定義に違和感を感じていました。
例えば、「暑い」と「寒い」。
真夏に35度を超えることは少なくありません。
そういう日が続いたあと、最高気温が30どを下回ると、「涼しい」と感じます。
さらに秋にさしかかり、20度を切るような日が訪れたときは、「肌寒くなった」と言い、上着を羽織ります。
つまり「寒く」感じます。
一方、冬から春に向かう頃、「最低気温5度、日中最高気温15度」という日があります。
この時の15度は暖かいと言い、その時期に20度になるようなら「暑い」とさえ言います。
お分かりのように、「寒い」と「暑い」は程度の差を表しているに過ぎず、同じものなのです。
では、「冷たい」と「熱い」はどうでしょう?
摂氏ゼロ度は、「冷たい」でしょうか?
コロナウイルスワクチンの保存を考えると、「熱い」と判断されます。
「喜び」と「悲しみ」についてはいかがでしょう。
正反対の感情を表しているように見えますが、そこに境界線はなく、感情のエネルギー量の度合い(レベル)の差だとわかります。
いずれにも共通して言えるのは、「程度の差」を表現しているということなのです。
最後に、
「自分」と「相手」
これについては「わたし」ではなく、「あなた」が考えてみて下さい。
shingo 2021年3月5日 — 投稿者
英都萬さん、素晴らしい例えですね。
悲観的に考える「厭世家(えんせいか)」よりは、楽天的ということですね。
でも、同じ人物が、時と場合によって、楽天的にもなり、悲観的にもなります。
悲観的な状況に慣れてしまうと、そこから抜け出しにくくなるので、要注意です。
英都萬 2021年3月4日
反対語の良い使い方を思いつきました。反対語は規準があるわけでないので、世の中で最も貧乏な人から見ると私は金持ち、世の中で最も不幸な人から見れば私は幸せです。私は、なんて楽天家なのでしょう。