高校の修学旅行中に、心の言葉と会話を始めた瞬間的衝撃を、今でも覚えています。
その日から、心の中では理屈で物事を考えることが、始まったのです。
自分の心と対話をすることで、理路整然と考えるようになり、あらゆる問題を解決しやすくなったような気がします。
その事は、この社会を生きる上で、すごく役立ってきました。
ところが、やがて私は、そこにはデメリットがあることに気付いていきます。
「直観」と言うものを軽視していく事になるのです。
直観は、人間の能力のひとつです。
それは、言葉で言い表せない、説明しようのないもの。
根拠を示せと言われても出来ないもの。
場合によっては、矛盾しているように思えるもの。
心との対話の中で、理屈に合わないものは排除されます。
ゆえに直観は、言葉によって抹殺されてしまいます。
人は、目に見えるものを重要視し、信用し、言葉で表現しようとしますが、見えないものに関しては、疑念や不信感を抱きます。
「直観」がそうです。
特に男性は、「直観」に対して懐疑的になるようなことが多いように思います。
男性が直観に従うのは、疲れていたり、考えることが面倒な時だけかも知れません。
ちょっと言い過ぎでしょうか?
反対に女性は、「直観を信じる」という事が、自然とできているように感じます。
私の場合、この直感というものの正体がようやく分かってきたところで、その重要性に気づくと共に、心との対話が、「自分の成長の妨げになっているのでは?」と、思い始めました。
心との対話は、自我そのものです。
心との対話をすればするほど、自我が強くなっていきます。
「するとどうなるのか?」
本当の自分からますます遠ざかり、自分を見失っていきます。
本当に問題なのは、その事を、本人が気付いていないことです。
多くの場合、気付く事すら無く、人生を終えます。
「会社のため」「家族のため」に長年働き、その人生に苦しんでいようとも、その中で幸せを見出し、人生を終えます。
最近、義父を亡くしました。
私の人生において、実の父以上に、公私ともに多くを気付かせて頂いた人です。
亡くなる前に、「自分ほど好き勝手に生きてきた人間はいない」と言ってました。
常に自分の思う通りに、物事を進めようとしていましたが、同時に、自分に関わる人達の事には、常に気を配り、世話を焼いていました。
そんな義父でさえ、先程の意味においては、「本当の自分を生きていなかった」と思えます。
「社会常識や理屈が通ること、真心が感じられるか?」そういったことを、気にしながら生きていたように見えました。
本当の自分とは、理屈ではなく、心の底からかすかに聞こえる声のようなもの。
社会的な常識や自分の価値観にとらわれないものです。
義父の人生は、波乱万丈で、人一倍努力を重ね、経済的に成功した人生でした。
しかし、最期まで、イライラする事が多く、どこか苦しそうでした。
行動はいつも筋が通っていて、理屈が合わないと納得しない人でした。
そんな義父から多くを学んだ自分もまた、理屈に重点をおきがちです。
私もそうですが皆さんも、直観を無視せず、「自分のために」を意識し、その気持ちを大切にして、生きてみても良いのではないかと思います。
最後に、義父に、最大の感謝を表して、今回の記事を締めくくりたいと思います。
「いつも温かい心で見守り、愛情で包んで頂き、ありがとうございました」
shingo 2021年2月8日
英都萬さん、いつもコメントありがとうございます。
「仮想の鏡」は良い考えですね。
私もやってみようと思います。
周りに誰もいない時が良いですね。
「早朝に夢の中で、ヒントが閃く」
これぞ直観でしょうね。
眠っている間に身体を休めると言いますが、あれは身体を休めているのではなく、魂とも言うべきあなた自身を休めているのです。だから閃きが起こるのです。身体(脳)が閃きをもたらしているのではありません。脳自体は、化学反応をおこしているだけですから。
匿名 2021年2月8日
K.Yさん、コメントありがとうございます。
「家族、会社、世間を気にしながら・・・」
この様に生きている人は、本当に多いと思います。
そうすると、家族や会社の人たち、世間の人たちに反応によって、傷つけられたり、怒りを覚える事が出てきます。
そうではなく、順番が逆なのです。
「自分が何をしたいのか?」
これを軸に据え、人間関係を築いていけば良いと思います。
「何がしたいか?」
これが私の言う「直観」なのです。
「何がしたいか」を選ぶ際の基準として、「何が最も得なのか」「最も効率的なものは何か」という損得勘定で決めてはいけません。
なぜなら、短期的な損得は、あなたの人生で考えた場合、つまり、「長期的に見てどうなのか?」が分からないからです。
人間関係については、いずれ数回にわけて取りあげようと思っています。
英都萬 2021年2月1日
同様の事象かどうか分かりませんが、私の場合「心の言葉と会話」でなくて、自分の前に仮想の鏡を立てて「自分の行動や言動が第三者からみてどうか」と問うようになりました。この時に少し大人になった感じがしました。また「直観」と近い感覚として、仕事で行き詰った時に早めに帰って眠ると、早朝に夢の中でヒントが閃くことが何度もありました。多分将棋の封じ手のあとの思考のように一晩中考えを巡らしているのだと思います。この時には「プロになった」と自覚しました。経験を積んだ上の直観は大事ですね。
K.Y 2021年1月30日
常に直観通りに行動できればとも思いますが、家族、会社、世間を気にしながら先ずは自分の中で整理をし考えてから行動する日々を送っています。
直観を無視せず 自分のためにを意識する生き方・・・1つずつから始めたいと思います。
末筆ながら お義父様のご冥福をお祈り申し上げます。