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The beginning of new challenge

核戦争から人類を救った人


地球と人類を救った男性がいます。
その人は、ソビエト連邦の軍に従事していたスタニスラフ・ペトロフ中佐

それは1983年9月26日のこと。

当時、アメリカはレーガン政権下にあり、ソビエト連邦に対し、カーターやニクソン政権よりも強硬姿勢をとっていました。衛星軌道上にミサイルやレーザー衛星を配備し、地上の迎撃システムとの連動で、大陸間弾道ミサイルを迎撃する、スターウォーズ計画を打ち出していました。また、レーガン政権は、西ドイツやイギリスに、地中をも貫通する核弾道ミサイルを配備しているさなかでした。

この日、ソビエトのミサイル攻撃警告システムは、大陸間弾道ミサイルがアメリカから発射されたと警告しました。その後次々に、計5発分の警告が表示されました。この表示を見たペトロフ中佐は、この事を上に報告すれば、報復としてミサイルが発射さるため、報告を迷います。しかし、アメリカと交渉する時間や、ダブルチェックをする時間がありません。

5度にわたる警告にもかかわらず、彼は「システムの誤報」だと判断し、上に報告しませんでした。

彼の判断は正しかったのでしょうか?

この先を読み進める前に、

「その状況下で、自分だったらどうするか?」
そして、「自分が上官だったら、彼にどの様な処分を下すだろうか?」


「報告するのか、しないのか。」
「処罰するのか、誉め称えるのか。」

時間があるときにじっくり考えてみて下さい。

いかがですか?
あなたは、上官に報告するという判断になりましたか?
もしそうだとしたら、多くの犠牲者が出ていたかもしれません。

結局この警告は、太陽光の反射によるもので、ミサイル警告システムは、これに反応したものだったと、後に判明しました。

当時両国の核弾道保有数は、ソビエト連邦は3万5804発、アメリカは2万3305発。ペトロフ中佐の判断次第で、何億の人間が犠牲になっていたか分かりません。

もし判断が間違っていてアメリカのミサイルが到達すれば、反逆罪に問われていたことでしょう。結果的にペトロフ中佐は、激しい尋問を受け、彼の決断が政府から称賛されることはありませんでした。

但し冷戦が終わると、ペトロフ中佐は国連から称賛され、国際平和賞であるドレスデン賞を受賞しました。その後、2017年、ペトロフ中佐は77歳で亡くなりました。

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この事を知って、「いつか核戦争は起こるのではないか」と心配しています。
軍の規律は厳しく、完全なタテ社会と聞きます。
ほとんどの人は、規律を守り、上官へ報告していると思います。
ペトロフ中佐のように、思考停止せず、規律より自分の判断を優先させることは、今の社会では許されないでしょう。

しかし、規律や規則・ルールは、決して万全ではありません。
時として、そういったものは、「規律が乱れる」という大義名分の上に、それを作った人たちの立場やプライド・権力誇示のために存在します。

「彼の勇気ある決断の正しさはどこにあるのか?」

それは、「自分の頭で考え、責任を持ってことに当たる」彼の姿勢にあると、私は思います


実はこれ以降も2度、核戦争の危機があり、いづれも一個人の判断によって回避されています。
しかし、その人の判断次第で核のボタンを押された可能性を考えると、恐ろしくなります。

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