「行きつけのカフェ」
「行きつけのBAR」
「行きつけの車屋」
「行きつけのイタリアン」
「行きつけの美容室」
私は、行きつけの店をいくつか持っています。
「行きつけの店」
皆さんは、持ってらっしゃいますか?
電話1本で話が通じる。
行ったら温かく迎え入れてくれる。
お互いに良く知っており、気軽に話ができる。
そんなお店は、自分にとってのオアシス的な存在です。
ちょっと大げさかも知れないが、「勝手わかった○○」とでも言うべき、便利で癒される空間なのです。
しかし、「行きつけの店」を利用することに疑問を感じ始めています。
単純な話なのですが、これって「新しい店に出会うチャンスを、潰してしまっている」と。
世の中には素晴らしい店や、そこで働く魅力的な人達がいるはずで、そういう店や人との出会いを、無意識に自分で遮断していますよね、きっと。
人生に広がりを持とうとするのなら、「安住の店」に留まっているべきではないのでしょう。
「安心・安全」が合い言葉のように飛び交っていますが、生き方そのものが「安心・安全」では、つまらない人生になりそうです。
良い事も悪い事も、楽しい事も辛い事も、全部ひっくるめて体験する場が、人間の一生のように思います。
ならば、同じような毎日の繰り返しでは、物足りない気がします。
社会がそうなっているのか、自分がそこから抜け出せないと無意識にあきらめているのか、慣れ親しんだ日々の生活から抜け出すのは、「至難のわざ」なのかも知れません。
中高年の人達を見ると、「こんな風にはなりたくはないなあ」と、20代の頃思っていました。
それは、「何十年も同じような生活の繰り返し」、イコール、「つまらない人生」という風に、私には写っていたのかも知れません。
今の自分がまさにその中高年なのだと、「ハッ」、としています。
今、この記事を馴染みのカフェで書いています。マズい!
shingo 2020年9月20日 — 投稿者
写真のはイメージカバーの写真で、実際の私の行きつけのカフェではないのです。
誤解を招くような写真を選び、失礼しました。
私の行きつけのカフェは、コメダコーヒーです。
ちなみに、写真のカフェは、イギリスの西の端の方に位置するFoweyという町にあるカフェです。
匿名 2020年9月20日
どこの国のカフェでしょうか?