アーリタblog                 新たなる挑戦の始まり

The beginning of new challenge

切磋琢磨の弊害

切磋琢磨して頑張るのは良いことだと、ずっと思ってきた。
知る限り、良い意味でしか使われているのを聞いたことがない。
しかしながら、この根底にあるのは、生命を大切に思わないことであり、それゆえこれを許してしまっている。

どう言うことか?

「切磋琢磨」する時の状況を思い浮かべると、よく分かる。
受験勉強・会社での出世・事業の成功を目指している光景が、思い浮かぶ。
こういう行動が競争社会を成り立たせ、競争社会を確固たるものとして継続させている。

競争に負けたものは何を感じるだろうか?

深い怒りと激しい暴力、恐るべき喪失、この上ない悲しみ、絶え間ない不安と恐怖です。
これらの感情を抱くのは敗者であるが、そうさせた原因は勝者にある。

少なくとも、半分はそうだ。
一部の勝者と大多数の敗者。
この敗者の感情で地球が埋め尽くされるにつれ、住みにくい社会になる。
それは、周り回って勝者にはね返ってくる。
結局、勝者も敗者も、敗者となる。
そうならない社会になるために、競争社会ではなく協調社会に変えていくことだ。
その社会の軸となるのは、気づきによる個々成長となる。
決して優劣ではない。もちろん、勝者や敗者ではない。

切磋琢磨をして、あなたは何を得たいのか?
お金持ちになりたいのか?

ご存知だろうか、
「世界の1%の人たちが、人類の半数の30億人が出す2倍以上のCo2を排出していることを」

それでも、切磋琢磨をしてお金持ちを目指すのか?

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テーマの著者 Anders Norén