切磋琢磨して頑張るのは良いことだと、ずっと思ってきた。
知る限り、良い意味でしか使われているのを聞いたことがない。
しかしながら、この根底にあるのは、生命を大切に思わないことであり、それゆえこれを許してしまっている。
どう言うことか?
「切磋琢磨」する時の状況を思い浮かべると、よく分かる。
受験勉強・会社での出世・事業の成功を目指している光景が、思い浮かぶ。
こういう行動が競争社会を成り立たせ、競争社会を確固たるものとして継続させている。
競争に負けたものは何を感じるだろうか?
深い怒りと激しい暴力、恐るべき喪失、この上ない悲しみ、絶え間ない不安と恐怖です。
これらの感情を抱くのは敗者であるが、そうさせた原因は勝者にある。
少なくとも、半分はそうだ。
一部の勝者と大多数の敗者。
この敗者の感情で地球が埋め尽くされるにつれ、住みにくい社会になる。
それは、周り回って勝者にはね返ってくる。
結局、勝者も敗者も、敗者となる。
そうならない社会になるために、競争社会ではなく協調社会に変えていくことだ。
その社会の軸となるのは、気づきによる個々成長となる。
決して優劣ではない。もちろん、勝者や敗者ではない。
切磋琢磨をして、あなたは何を得たいのか?
お金持ちになりたいのか?
ご存知だろうか、
「世界の1%の人たちが、人類の半数の30億人が出す2倍以上のCo2を排出していることを」
それでも、切磋琢磨をしてお金持ちを目指すのか?