「ありのまま」を見て、何が役に立つかを観察する。
集団にとって役に立たないものは、個人にも役に立ちません。
それは集団は個人からなっており、集団に害になるものは、集団を構成している個人にも影響がでるからです。
個人の集まりが集団というのは、言うまでもありません。
その中で自分の役割を考え、自分はどういう人間でありたいのか、はっきり選択します。
すると、自分の役割が見えてきます。
他人と同じである必要は全くありません。
その役割を念頭に起きながら、日々の行動を意識します。
自分が考えたり、言ったりする事すべての結果をイメージし、集団にどの様な影響が及ぶのか、きちんと意識すれば、その集団に役立っていることになり、「集団が行きたいと思う方向」に向かわせることが出来ます。
ここで言う集団とは、家族・会社・国家・人類全体を指します。
あなたがイメージする結果が、自分にとって、集団にとって相応しくないのなら、自分の言動を検討し、修正の手段を講じ、結果に対する責任をとるようにします。
責任をとるというのは、そういうことです。
結果をイメージせず、結果の修復をせず、結果を放置することではありません。
そして、周囲の人には、結果の修復をするチャンスを与えてあげることです。
ここから、会社を例に説明します。
会社には様々な役割の人がいます。
各自の役割範囲は、会社の大小などにより違います。
大切なので最初に言っておきますが、「役割の範囲を固定化しないことです」
特に最初のうちは、かなり流動的になることを受け入れて下さい。
さもないと、誰かに無理がかかり、組織はギクシャクします。
まず社長です。
社長の日々の言動が、どの様に結果に影響しているのかを認識し、必要と考えるのであれば、それを修正する手段をとることです。
社長は、「自分は、どういう社長でありたいのか。どういう役割を担うのか」を、社員・得意先・外注先に明言し、自分が決めた社長像の通りに振る舞うのです。
その際社長は、いくつかのことを、周囲に説明し、理解を得なくてはなりません。
「なぜそういう社長でありたいのか?」
心の内を明かすことです。
そこには自分の信念や価値観などが含まれてくるでしょう。
その上で、社長の役割の範囲を明確にし、全社員に周知し、同意を得ておきます。
次に、社員はどうか?
社長と同じように、自分の言動がもたらす結果を認識し、自分の役割を明確にします。
社員の皆さんは、「社長について行く」という考えではなく、自分の役割を見事なまでに果たすのです。
その際の判断基準は「自分や会社の役に立つかどうか」です。
決して目先の見える利益ではありません。
鳥の目でみた、広い視野にたって考えることです。
そして、役割に上下はありません。
それぞれの違った役割があるだけです。
なので、価値観が共有できていないと、他の人の役割に合意できません。
合意できないまま進めると、うまくいかなくなります。
再度言いますが、人の気持ちや環境は常に変化しています。
この瞬間にも。
ですから、各自の役割範囲が、頻繁に変わることに、何も問題はありません。
変わらない方が不自然です。
不自然なことには、人は違和感を感じます。
ストレスにもなります。
だから常に価値観を共有する機会を設けることです。
勘違いしないで欲しいのは、価値観を統一させる必要はないと言うことです。
お互いの価値観を受け入れ認め合うのです。
尊重するのです。
さもないと、多様性が失われ、お互いが刺激しあう事が無くなり、組織は硬直していきます。
そうやって生まれた結果を、公平に分配します。
役割に上下がないように、結果にも分配にも上下をつけないことが、肝要です。
それが難しいと思うのなら、こう考えて下さい。
「あなたがどの立場に置かれたとしても、納得できるように」
そうすれば、職場は生き生きしたものになり、人生の多くを過ごす職場が楽しいものになります。
こうして作り上げた会社で働く人が、自分の能力を思う存分発揮することで、会社は存続していくと思います。
最後の「結果の公平な分配」については、これまでの固定観念を消さないと出来ないかも知れません。
でもこれは、社長と社員の意識次第で、今すぐにでも出来るものなのです。
今すぐ空を飛べって、言っているのではありません。
決断するだけです。
shingo 2021年2月8日 — 投稿者
英都萬さん、
私は「今すぐに出来るものなのです」と、書きましたが、トップの固定観念が変わらないと、非常に難しいですね。
しかし最近、海外のベンチャーで、これまでの固定観念を打ち破るやり方を採り入れているところがあるようです。
新しい働き方ですね。
英都萬 2021年2月8日
実際には難しい事項ですね。それができれば皆、カリスマ経営者やスーパー社員でしょう。大多数の普通の人は与えられた仕事を役割と思ってこなしているだけです。私もです。